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(写真出典:飯塚毅先生追悼集『自利トハ利他ヲイフ』386頁)
東洋思想でいかに生きるかを問い直す-2
西洋を迂回して来たインド哲学
本誌世の中が混沌とし、国際的な動きも激しくなって来ました。先生の言い方をお借りすると、浮世ばなれしたところから学究的に見た方が展望が開けそうな状況です。今日をいかに生きるかを根底的に問い直す――そんなお話をお願いします。
中村そんなことにお答えする自信はとてもとても。飯塚先生どうぞ……。
飯塚いやいや。根底的といえばこの際、先生にご教示頂きたいことがあります。
カントは「純粋理性批判」と「実践理性批判」の中で、先験的意識(Transzendentales Bewusstsein)ということを言っています。私は、これはインド哲学がドイツに渡っていたので、カントはそれを読んだのではないかと推測していますが、いかがでしょうか。カントの後輩であるヘーゲルとかショーペンハウェルは、仏典を読んだことをちゃんと告白していますね。
中村力ントが東洋の古典を読んだかどうかは分かりません。しかし、その前のライプニッツは読んでいます。彼は合理主義者ですが、そういう目で東洋思想を見たのです。ことに中国の思想に傾倒しました。
飯塚ほう。
中村西洋では神が唯一の基準ですが、中国思想では、よい政治をした王朝は栄え、悪い政治をした王朝は天命によって滅びるという合理的な考えがあり、よい事と悪い事はそれぞれ普遍的な意味を持っていると説くわけですね。彼はそれに感銘し、ロシアのピョートル大帝に建白書を出します。モスコーに「東西アカデミー」をつくり、西と東の哲人を会合させ、新しい真理を求めよと献言しました。実現しませんでしたがね。
当時――18世紀の啓蒙思想家は中国思想の影響を受けています。インド思想が西欧に影響を与えるのは、もっと後です。ゲーテは影響を受けていますが、はっきりとしているのは、先生が仰言ったようにショーペンハウエルが最初ではないでしょうか。彼はウパニシャッドのラテン語訳を読んでいます。
飯塚愛読していますね。
中村「ウブネカッツ」といって、ダーラシューコーというイスラムのプリンスが学者に命じてペルシャ語に翻訳させた。それをアンケティル・デュペロンという学者がラテン語に訳した。ショーペンハウエルはそれを読んで非常に感銘し、「現世における喜びの元、死後の慰め」とまで言っています。インド思想の西洋への影響は、このころから顕著になるわけです。ニコライ・ハルトマンなどはショーペンハウエルの影響を受けています。
日本は廻り廻ってショーペンハウエルを介して影響を受けるわけです。
飯塚戦前の旧制高校生が歌った「デカンショ」は、デカルト・カント・ショーペンハウエルの頭をとったものですね(笑)。
ショーペンハウエルを介して
中村その前は、日本人は漢訳の仏典を読んでいました。ところが明治になって大学で西洋哲学を教えるようになり、初めは西洋から先生を招いた。その中で有名なのが、ドイツから来たケーベル博士ですね。ケーベル博士はショーペンハウェルの思想を伝えました。
飯塚それとともに西洋人が捉えた仏教思想が入ってきたわけですね。
中村パウル・ドイセンというショーペンハウエルの思想を体系化した哲学者がいました。ケーベル博士はこのドイセシの哲学を伝えたのです。その前に仏教学者の井上円了という先生が、ドイセンを翻訳しています。
ドイセンのところでは姉崎嘲風先生も勉強しています。西洋哲学とサンスクリットを一遍に習えるというので行ったのですね。そこヘアメリカ人のウッズという人が勉強に来ていて、知り合いになった。ウッズはハーバードの教授だった関係で、姉崎先生の本がハーバードから出るようになり、先生は世界的に有名になりました。
飯塚なるほど。縁ですね。
中村英文で『日本宗教史』をお出しになった。いまでも日本の宗教史といえば姉崎先生のこの本がスタンダードになっています。また日蓮の紹介もされた。『Nichiren the Buddhist Prophet』という小さな本ですが、日蓮を英語で紹介した最初です。その後もあれだけ権威のある本は出ません。
飯塚その姉崎先生がヨーロッパの仏教学は日本より遙かに進んでいると驚いたとか。
中村そうでしょう。ヨーロッパの学者はそのころサンスクリットやパーリー語で仏典を読んでいましたから。
飯塚日本は漢訳の仏典ですからね。
中村高楠先生や姉崎先生は、そういうヨーロッパ風の仏教、インド哲学研究を日本に導入した方です。
本誌ヨーロッパにインドの文化を紹介したのはイスラムですか。
中村古代のヘレニズム時代には、ギリシアの王様がインドヘ使節を派遣しました。その記録が『インド見聞記』となり、ラテン語訳もあります。これが文献としては最初でしょう。中世になってちょっと途絶え、イスラムが勃興するとイスラムを介して知りました。イスラムが退くと西洋人がじかに取り入れるようになり、インド学やアジア学が進みます。イギリスの図書館にはいい写本が残っています。
飯塚古代におけるギリシアとインドの交流についても、先生の論文がありますね。
中村『インドとギリシアの思想交流』という本を書きました。あれを書き直したいのですが、出版社が「1,000ページ以上は書かないでください。買う人も読む人もいなくなります」と。そういうことで、いくら竹の林の中に住んでいても現実に引き戻されます(笑)。
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