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自衛隊海外派遣は慎重であれ-9

予備隊の増員に抵抗した吉田首相

飯塚内務省―自治省から警察畑に転じられて、大きなお仕事が警察予備隊創設だったそうですが、その時の裏話をお聞かせいただけませんか。

後藤田『私の履歴書』(日本経済新聞社)にも書きましたが、昭和25年に朝鮮戦争が始まり、駐留米軍が出動した。GHQは「国内治安に空白が生ずるから」と7万5,000人の警察予備隊急造の指令を出した。それが発端です。翌年夏、僕は警察予備隊本部の警備課長兼調査課長の辞令を受け増原恵吉長官、石井栄三局長の下で創設に当たることになりました。

創設については米軍の中にも2つの意見があった。旧日本軍の大佐以下の優秀な幹部数10人を中心につくれというのと、それでは軍国主義の復活につながるから全く異質の人材を幹部にしてつくれという意見とです。結局、旧内務省、ことに特高以外の警察畑の人を中心にということに落ち着いたわけです。

飯塚なるほど。

後藤田予備隊が発足して間もなく、吉田茂総理が見えて、講堂で幹部に訓示されたことがあります。予備隊は軍隊であるか否かで世論がやかましかった時です。訓示は非公開でしたが、「これは軍隊である。そのつもりでしっかりやって貰いたいにという趣旨だったと記憶します。吉田さんは表向きは「軍隊でない。警察予備隊だ」と言い続けていましたが、真意は将来の軍隊の萌芽であると考えておられたのではないでしょうか。

飯塚憲法9条との関係はどうお考えに?

後藤田米側は軍隊と見ていたが、我々は軍隊ではない、さればといって警察でないといった議論を重ね、結局、国土を防衛する武装部隊であるという線に落ち着きました。これは今日まで変わっていません。

飯塚なるほど。先生はその点、一貫しておられる。筋金入りだ(笑)。国土防衛すなわち専守防衛ですね。海外への派遣には国連の平和維持活動への協力といえども、極度に慎重なわけだ。

後藤田自衛隊はF15やF16など最新戦闘機を持っているからどこでも戦える精強な軍隊と思うかもしれないが、そうではない。後方補給の機関が弱い。国土を守るためだから足が短いのです。海上自衛隊もそうです。海をはるばる越えてインド洋とかペルシャ湾に行くようになっていない。そういった昔流にいえば「建軍の本義」は変わっていません。

飯塚掃海艇のペルシャ湾派遣で大騒ぎしたので、それは実感しました(笑)。ところで、吉田さんは米側の増員要求には頑強に抵抗しましたね。

後藤田さっき紹介した訓示のように、吉田さんは自衛のためには軍隊は当然と考えながら、当分は憲法を楯に増員に抵抗するのが上策と判断されたのでしょうね。

飯塚軍備の負担を出来るだけ軽くして経済復興を計るという、保守本流の伝統がそこで形成されたわけですね。

ところで、最後にまた陳情を1つ。先生が東大法学部を卒業される前年の昭和13年、大蔵省は軍部に迫られて、臨時軍事費を絞り出すため生命保険金への課税を始めました。親がなくなった時、子が貰う金に課税するひどい税金ですが、それが今も続いています。戦争の影はこのあたりでぶった切って貰いたいものです。

後藤田そういうことだ。税金は取り易いところから取るという悪い癖がある(笑)。

飯塚そういう後始末をしないで、自衛隊の海外派遣に熱を上げるのは、どう考えてもおかしい。「頭を冷やせ」という先生の警告に改めて敬意を表します。

本誌お忙しいところ、迫力のある有益なお話を有り難うございました。

(編集主幹・木場康治)
(VANGUARD 1992年1月号より転載)

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